物価水準論を考える
- 藻谷 俊介
- 2023年2月27日
- 読了時間: 7分
更新日:2024年2月4日
依然として構造インフレとか粘着インフレという言葉が飛び交い、金融市場でもインフレが終わるという考えと、終わらないという考えが、短時間に主導権を奪い合って、方向感が揺らぐ状況が続いている。一旦形成された一般のインフレ期待は簡単には下がってこないことを痛感する。
改めて問題になるのは、インフレ「率」よりも物価「水準」で考えてしまう感覚である。そこでは物価の正常化を変化率(インフレ率)の正常化で判断するのではなく、例えば上がった物価が元の水準まで下がって初めてインフレが正常化したと認識する。言い換えると、何となく物価には適正な水準があって、例えばラーメン1杯が1,200円と言うのは異常であり、元の3桁に戻るように修正される未来をどこかで考えてしまうわけである。戻らなければ、それは粘着質のインフレと認識されるのだろう。
筆者もモノによっては水準を語ったことがある。例えばガソリン補助金などを考えるうえで、ガソリンが何パーセント上昇したかなどは認識が難しいので、リッター42円上昇したのを35円補助金で埋め合わせるという風に実額で考えた方が分かりやすい。しかしそれは大半の国民にガソリンはいくらという凡その認識があるから成立する特例であり、物価全般に応用できるわけではない。
ラーメン1杯2,000円をどう捉えるか
水準論には普遍性が認めにくい。なぜなら、日本以外の国の物価はそんな風には推移していないからだ。図Aはアメリカの消費者物価の長期チャートである。基本的に物価は常に上昇している。昨日より今日の物価は高く、二度と元に戻ってくることはない。リーマンショックの部分では下がっているが、これは正常化どころか、非常に厳しい不況の反映だった。つまり物価に適正水準などというものはないのである。アメリカを例にしたが、これは筆者がウォッチしている世界主要17か国の日本以外のすべてに共通しており、全然珍しいことではない。諸外国ではラーメン1杯はいずれ間違いなく2,000円になり、長期的には3,000円、4,000円になるのである。
むろん、それはどんな上昇でも受け入れるということではなく、短期間に上昇しすぎる状態(例えば図A、およびそれを拡大した図Cの2021年からの急勾配)には然るべきインフレ抑制政策が取られた。ただ、右上がりが常態のグラフにおいて、規範を与え得るのは水準ではなく勾配である。
尤も石油のコストについてだけはバイデン政権も水準論をかざして原油1バレル70ドルを目標にして備蓄石油を放出してきた。ただ、多くのメディアは中間選挙前に目立つオイル価格だけを見世物にする大統領に批判的だった。
約30年間、物価が±3%のレンジ内に収まっていた日本
対する日本の消費者物価の長期チャートは奇異である(図B)。日本では、過去およそ30年間にわたって、物価が±3%のレンジ内(94~100)に収まっていた。しかも、3回の消費増税による疑似的な価格上昇を含めてである。
この奇跡的な環境の下で、例えばラーメンなら1杯800円が普通で、1杯1,200円なんて間違っている、という感覚が刷り込まれてしまったのであろう。しかし、図Bが示しているのは、90年以前は普通に物価がはっきり上昇していたことと、今またそうした上昇パスに入っているらしいことである。つまり、この異様に長かった物価の「踊り場」はついに終わりつつある。それは粘着質のインフレの到来ではなく、物価システムの正常化と呼ぶべきものである。
このような日本人の経験は、行動にも表れてきたはずである。つまりアメリカ人なら、物価は必ず上昇するのだから値上がりする前に買ってしまおう、必要ならお金はカードローンで借りてでも、と思うわけだが、日本人は恐らく今は高いから少し待って下がるのを待とうとか、慌てず来年お金ができたときに買えば良いと考えるのではないだろうか。この辺は消費の多寡に少なからず影響してきたはずである。
売り手にも違いが出るはずだ。アメリカでは値上げは日常茶飯事なので、特に気に病むことなく(もちろん競合店舗の様子は見ながら)さくさくと値札を書き換えていく。そこが商売の上手い下手を分けるのである。日本ではお客様が価格は変化しないと期待しているわけだから、小売業者は少しでも上昇を抑えようと心がけることになる。大手なら仕入れ先に無理を言ったり、大量買いしたり、あるいは機能を絞ったPB化をしたり、ともかく何とか値札を維持(あるいは下げる)するようにするわけである。
100均が成立した時代
図Bを見ていると、なぜ「100均」が商売として成立したかも分かる。過去30年の日本はまさに100均全盛の時代であった。この程度の物価変動であれば、100均は売っているパッケージ内の数量(ボールペンの本数や封筒の枚数など)を多少変えることで価格100円を維持することは可能だった。
が、実はアメリカにも100均が流行った時代があった。それは大恐慌の後の1930年代である。Nickel and dimeとかFive and tenと呼ばれたことからも分かるように、当時の15セントでいろいろな物が買えるお店だった。ただ、アメリカは日本ほど長期間にわたって価格が横這いではなかったので、15セント均一を墨守したわけではなく、程なくしてディスカウント・ストアやスーパーに変わっていく。有名なWalmartやKmartもそうしたアメリカ版100均が進化した企業である。これから大創産業やセリアがどのような経営をしていくか、エコノミストとしても非常に興味がある。
価格転嫁と言うリセット(仕切り直し)の必要性
最後に再び図Aを拡大した図Cを考えよう。以上を踏まえたとしても、読者はこう言うかもしれない。昨年10%で急上昇した部分が消えたわけではないではないか、と。
しかし、価格転嫁してしまえばどうだろう。実際に値上げしたら、その部分は償却され、そこからは緩い3%勾配で新しいスタートを切ることができる。だから、インフレが常態の社会では、価格転嫁によって都度リセットをかけて、うまく先へ進むことが大事なのである。価格転嫁しなければ、この急な勾配の部分が膨大なコストとして残り続けてしまい、粘着性と誤認される可能性もある。いつか物価がその前の水準に戻ってくると期待して、我慢し続けてもその日は来ない。全社会的に価格転嫁を常態とすることによってのみ、インフレ時代を生き残ることができるのである。我慢の先には何もない。考え方を180度変えていくしかないのであるが、案外日本人はこのことに気づいていないのではないかと思う瞬間がある。
むろん価格転嫁していく習慣が日本に戻ってくるとき(バブル前の日本は転嫁していた)、マクロ経済的には従業員の給与も応分に上昇するような形になる必要がある。しかし今のように政府の掛け声や経営者の慈悲に賃金上昇を任せていたら、自己安定的なシステムをつくることはできまい。諸外国のように、個々の労働者の賃金交渉や離職・転職、団体交渉による労使間のバーゲニング、すなわち「賃金市場メカニズム」を再建することよって、賃金の上昇がもたらされるようにするしかない。日本型の労使協調も一つの知恵だとは思うが、売りと買いの綱引きであるべき賃金市場は、なあなあでは正当に機能しないのではないだろうか。
一方で、企業として技術や商品力に最低限の競争力がなければ、価格転嫁は思うに任せないはずで、これも決して楽な話ではない。また価格戦略は経営の核心であり、逆に言えば価格転嫁の失敗や不全に公的なセーフティーネットは基本ない。
今の日本はせいぜい4%程度のインフレなので、企業倒産件数も低位で(図D)、家計サイドへの圧力も世帯収入全体(図E)で見るとまず間違いなく吸収できているが、極端なインフレに対しては倒産や失業対策も必要となろう。緊張感をもって当たるべきことであるのは疑いないところである。
1-3月期は揉み合う
今は、インフレの帰趨をめぐってまだ意見が割れ、金融市場も一喜一憂の状態である。しかし、一部の国や品目で執拗に見えるインフレも、リアルタイムで計測すると徐々に薄らいでおり、一方で調整してきた半導体などのビジネス・サイクルも底を形成する過程にある。意見が割れるのは、転換点の特徴でもある。しばらくは揉みあいが続くが、自ずと正常化に向けての変化が現れてくると考えている。
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