アップルカーという目くらまし
- 藻谷 俊介

- 2021年6月8日
- 読了時間: 8分
更新日:2024年2月4日
緊急事態宣言はなくても、今よりも自粛ムードがずっと濃かった一年ほど前、筆者は個人のストラテジー(先週号参照)に則って、人影の消えた静かな街を歩いたり、以前は予約が取れなかった人気店に行ったりした。当時はともかく、今であれば誰も不謹慎とは思わない程度の大人しい活動である。
そんな活動の一つが、テスラ車の試乗だった。中型のモデル3が普及し始めてからは特に、在外の知人たちや海外メディアの世界では驚嘆と賞賛を集め、一種の社会現象になっていたテスラなのに、なぜか日本では実質的に存在しないような状態が続いていた。日本での販売台数が年間でも千台ほど*だったので物理的にも存在しないに等しいが、日本のメディアや評論界が何ゆえか黙殺しているから仮想的にも存在しない。だからこそ自分の目と手足で確認する必要を感じたのである。
*日本自動車輸入組合の統計においてテスラは「その他」に含まれる。「その他」の台数は2018年623台、2019年1,199台、2020年1,885台であり、そのほとんどはテスラであると言われているが、要は日本でのテスラの販売台数はこれを超えることはないわけである。因みに2019年の主要海外ブランド販売台数は、VW-Audiが71,016台、BMW(Mini、Alpina含む)が70,836台、メルセデス66,553台、ポルシェでも7,284台あった。並行輸入は考慮外。テスラは2019年に世界全体で367,500台のEVを販売した。日本はそのわずか0.3%である。なお、日本の約3分の1の市場規模しかない韓国でのテスラ販売台数は、2019年が2,430台、2020年が11,826台だったそうである(聯合通信)。
気に入ったら、クリックして下さいね
東京にモデル3の試乗車は1台(パフォーマンス)しかないが、自粛的環境のおかげで試乗予約はすぐに取れ、しかも大変好都合なことに感染抑制のためテスラ社員が同乗することもない。「一人で好きなところを走ってきて下さい。後ろの予約もないので時間オーバーしてもいいですよ。」とありがたい言葉。広い青山通りをいきなり最左車線から発進するのは怖かったが、そこは0-100km/h 3.3秒の加速性能があるのでまったく呆気なく、神宮外苑を周回した後、昔ビートたけしが事故を起こした鮫河橋坂をうねり下って迎賓館前、四ッ谷と走り、当社のある番町界隈を抜けて隼町経由で青山に戻った。
スタッフが「どうでしたか。気に入ったらぜひサイトでクリックして下さいね。」と言うのだが、これは人気投票とかレビューのことではない。テスラを購入するにはテスラサイトで「今すぐ注文」をクリックするしかないのである。国内4カ所の店舗(東京、川崎、大阪、名古屋)では一切商談や販売を行っておらず、試乗と保守だけ行う。クリック販売は全世界共通のテスラ方式だ。
アクセルを踏む前に車が動き出したように感じるタイムラグのなさ、低重心がもたらす重厚感と回頭性の良さ、静粛性などEVに特徴的な特性をもちろんテスラは有しているが、それは他のEVでも少なからず感じることであり、筆者はそこには驚かない*。加速性能はEVの中でも図抜けているが、都内で本気で踏んでしまうと次の信号で停車している車に追突してしまうだろう。むしろテスラの機械としての良さは、フランス車のようなグラスエリアの大きさや、アメ車ならではのごつごつしないサスペンションなど、近年の日本車で全盛の「ドイツ車的方向」の次を読んでいるところにある。
*筆者はEVに早くから興味があり、20年前に今の自宅を建てた時にガレージに深夜電力200Vの電源を引いておいた。その頃テスラ社はまだ存在しなかったが、ゴーンはいずれEVを出すと言いだしており、楽しみに待っていたのである。しかし20年間筆者の期待に沿うEVは登場せず、今もガソリンを燃やして走る日々。それでもレンタカーなどではEVを選択して、趣味的試乗は続けている。
そしてIT機器としての性能となると、もうこれは別世界である。シンプルな一画面に多様な情報が映し出される。いわゆるAutoPilotをONにしなくても、画面には前後左右のすべての車、車線、道路上の障害物(工事現場)などがリアルタイムで3D表示されており、危ない時は警告が出る。車が8つのカメラからの情報で周囲を常に認識しているわけだ。それを使ってどこまで自動化するかは購入者や各国規制当局の判断次第である。画面はスマホ同様に遊び心あって、設定項目も多く、性能も自分の用途やスタイルにフィットさせることができるし、アップデートで性能が変わり機能が付加される。オーディオも抜群である。これらはテスラが常識や慣習をリセットして一からEVを作った成果であり、既存メーカーの、エンジンをモーターに置き換えていくアプローチで作ったEVが、実に中途半端で過渡的なものにしか見えなくなるのである。
自動車におけるiPhone
乗った感想を一言で総括すれば、今ある日産やフォードやフォルクスワーゲンのEVも、10年後には間違いなくテスラに近づくと思わざるを得ない、要はiPhoneのように時代を画するEVだった。既存メーカーのEVは、iPhoneがもう発売されている横で、ガラケーを使ってきた人も違和感なく使える、敢えて古いデザインを残した商品(ガラホ)を作っているようなものだ。しかし人々は意外に速くiPhoneに慣れてしまい、中途半端なガラホは消えていく運命にある。
これから既存メーカーのEVが続々出てくるのでテスラは厳しい、EVなんてどこも同じで日本メーカーもすぐ作れると思っている人は、一度テスラを試乗すべきである。そうしないと、なぜテスラの時価総額がトヨタのそれを大きく上回っているのかが分からないだろうし、単に筆者がイーロン・マスクの信者になり下がっただけと思われるかも知れない。旧世代の自動車評論家たちが、テスラは操作がすべてタッチパネルで乗りにくい、デザインがあっさりし過ぎで高級感がないなどと言うのは気にせずに。人間はすぐに慣れるし、モデル3の実物は写真で見るよりかなりグラマラスである。
今そこにある危機 Clear and Present Danger
さて、話を日本におけるテスラの不在に戻す。筆者は企業人向け講演会などで、会場に向かって「この中に自身でテスラのハンドルを握って運転した経験のある人はいますか」と聞くことがあるが、いまだに1名の挙手も見たことがない。日経新聞は、今年3月末から『もしも、Appleカーが登場したら...迫る自動車の再定義』というシリーズを組んだ。「百家争鳴のアップルカーの行方を展望しつつ、新たなテクノロジーを深掘りし、勃興するモビリティー産業の最前線に迫ります」とのお題目である。そこでの細かい議論がすべて無意味だったとは思わないが、既に自動車を再定義したテスラが存在しないかのようなテーマ設定には問題を感じてしまう。多分、記者もテスラを運転したことはないのだろう。
テスラは単に車体構造、ITインターフェースがユニークなだけでなく、広報部を置かず、広告も一切出さず、販売はすべてインターネット、修理は巡回サービスマンや町の鈑金屋でという販売形態も業界慣習をまったく破壊している。日経を読む日本の経済人はテスラという「今そこにある危機」を見ようとせず、登場するかどうかも分からないアップルカー(百家争鳴!?)を論じて、胡蝶の夢を見ていて良いのだろうか。たまたま日本に韓国の電気製品が来なかったために、その実力を認識できずに、ふと気がつくと世界を席巻されていたのと似たパターンではないだろうか。そもそもジョブズの帰還でアップルが再勃興していた2000年代の日経新聞は、まだ露骨な「ウィンテル信者」だった。そこから学べる法則は一つしかあるまい。
日本のカーオブザイヤーと自動車評論家の問題
あわせて気になるのは、日本のカーオブザイヤーでのテスラの扱いである。モデル3はドイツのGolden Steering Wheel賞や、イギリスのUK Car of the Yearを獲得しているだけでなく、優勝を逃しても欧州カーオブザイヤーなど多くの賞で次点ないしファイナリストにつけている。しかし、日本のカーオブザイヤーでは一次選考後の10台にもノミネートされていない。新参あるいはEVなので選考される資格がないのではなく、最初のリストに名前はあるのにである。前述のようにテスラに広報部はないので、既存メーカーのように各国の自動車評論家たちを地中海の島や中世のお城とワインで接待して、大規模な発表試乗会をすることはない。このことは日本のみならず、多くの国で少なからず不利をもたらすだろうが、それでも日本では最初の10台にも入らないとは。接待されなくてもテスラに投票する気骨ある評論家が、他国には結構いると言うのに残念なことである。テスラはそこで浮いたコストを更に投資したり、値下げに使える。
またも乗り遅れるのか、情報鎖国
テスラに敵が多いのは分かる。既存メーカーや自動車ディーラーはもちろん、世論をあやつる電通のような広告代理店も、ドル箱の自動車広告をテスラがまったく出さないのだから警戒し、敵視していることだろう。マスクの既存秩序を無視した過激な発言に、不快感を持つビジネスマンもいるはずである。テスラ車が事故を起こす度にメディアは取り上げるが、日本ではポジティブな報道はまず目にしない。しかし、逆風の中でも中韓を含む世界各国で存在感を上げているテスラを、この日本人が直視しないのは大きな損失であることは強調するに余りある。
コロナワクチンが世界で効果を見せても日本では背中を押す報道がなく、むしろ血栓の発生や外国での接種遅延の報道が先行して、大きく接種プログラムが遅れてしまったのと、結局のところ問題の根っこは同じだろう。日本では普通に暮らしていると海外の「ちょっと耳に痛い情報」が入ってこず、置いてけぼりを食らうのである。見ない、見えない、見たくないは過失である。そこをカバーするのも当社の一つの役割であると考え、昨年の試乗後にしたためながら一度は廃案にしたこの文章を、修正加筆した上で敢えて発行することにしたものである。




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