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構造インフレは我々の選択次第(シリーズ中国6)

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9~10月の機関投資家向け集中プレゼンテーションの際に、投資界の重鎮となった知己から、いわゆる構造的インフレ論(世界は既にインフレの時代に切り替わった)をどう思うかと問われた。まだ構造的とまでは言えないのではないかと第一印象を述べつつ、改めてレポートにすると答えたことが今号に結びついている。一般論として、市場にこれまでと逆の流れが発生すると、当初は一時的現象と見做されるが、それが1年も続くと今度は構造的と言う人が増えてくる。時間と共に、流れを正当化する理論が段々と増えていく風景は過去に幾度となく経験した。ただし本当に構造化するのはごく一部で、多くの場合流れはまた変わると言うのが筆者の視角だ。それをどうやって峻別するのか。


構造インフレ論にもいろいろあるかも知れないが、筆者が投資家からよく聞くのは、グローバリズムの修正、なかんずく米中対立などの国際的対立軸の顕在化、固定化によって、コストの安い国に広げたサプライチェーンを、もう一度自国、あるいはリスクの少ない他の先進国に戻す必要が生じ、それがコスト増を招くというシナリオである。ブレクシット、MAGA(Make America Great Again)のような一国主義、スエズ運河事故が示した脆弱性、コロナ禍による閉塞など、近年起こった出来事もこれと連関し、補強し合って、一旦は広くなった世界が切り刻まれて元のように狭くなり、80年代以降のディスインフレの流れが昔のインフレ時代に戻っていくという考えは、この瞬間には非常に説得力を持っているように見えるのは間違いない。

グローバリズムは本当に立ちゆかないのか

世論を見ると、日本でも今さらのように様々なレベルから隠れていたアンチ・グローバリズムが噴き出している。グローバリズムでは生産拠点を所得の低い国々に移すわけだから、先進国側から見れば雇用の流出、あるいは貧困の輸入となり、デフレ的になる。政治的なコメントも多く、これ以上中国を富ませることは危険であるという意見も出てきて、和製英語の「ゼロ・チャイナ」という題字が踊る。間違いだらけのグローバリズム、という雰囲気作りがされている。

しかし、今の便利な生活に潜むグローバリズムの恩恵を、空気のようなものと勘違いしてしまっている可能性はある。その利便性を得ていたのは我々自身ではなかったのか。100円ショップで十分な品質の安物を買い漁り、一昔前の業務用コンピューター並の計算能力を持ったiPhoneを廉価に使い倒し、サイゼリヤで安くて旨い輸入食材とワインを楽しみ、割高な国産スマホや国産ニンニクには目もくれなかったのではないか。


グローバリズムは簡単に言えば発展途上国に豊かさを分配する地球的システムであり、アジア、アフリカに貧困から離陸する国々を生んできた。逆にそれらの成長著しい国々は先進国の商品にも新たな市場となり、日本国民に見えないところで実は日本企業もそれによって大きく成長した。経済的な結託は政治的な対立を抑制し、長期にわたって大きな戦争(この表現は一部の紛争下にある人々を立腹させるとしても)のない地球を実現した(ウクライナ侵攻は明らかに近年の一国主義エゴの復活に伴なう事態である)。様々な人種、異なる文化の平和共存が、長期的に見て地球に与えられた唯一のソリューションであることに異を唱える人はいないだろう。個人レベルで考えても、現在のように世界企業の経営陣が性別不問で多人種化することは、白人男性中心だった20世紀には想像も出来ないことだった。


余剰マネーの問題もある。豊かになった先進国の人々は、身を粉にしてまで働かなくなる。雇用が新興国に流出したと非難することはできるが、現実に先進国の生産現場、単純労働市場はむしろ人手不足で「逆空洞化」は容易ではない。豊かな国のペンション・マネーは、代わりに働いてくれる人のいる国、成長する国、つまりリターンの大きい国へと流れていくことになり、不可避的にそこに次々と生産余力が生じる。世界的な供給過剰デフレはグローバリズムが生んだのではなく、むしろ市場原理の結果としてグローバリズムと共に形成されたのである。バイデンのような政治家は、これに抗する覚悟が本当にできているのだろうか。

政治的なバックラッシュがコロナ禍で増幅

更に言うなら、世界史の大きな流れも無視できない。ムラ社会が部族社会になり、都市国家が生まれ、国民国家へと拡大し、現在ではEUのような国家連合体まで現れるようになった。政治学的に言えば「統合integration」であり、つまり政体の規模は時と共に拡大するというのが世界史の主たる流れである。子供の頃、筆者が好きだったスタートレック(宇宙大作戦)では「世界連邦」が地球の政体であり、カーク船長こそwhite maleだったが、クルーは多人種化していた。その後は船長が女性になったり、当初は敵だったクリンゴンまで和平を経て乗り込むようになる。所詮フィクションではあるが、世界史の流れから考えて誰も不自然とは思わないところに、一つの真実が潜んでいたように思う。いずれにしても、現時点での中核的な政体の単位である国民国家という形態が、歴史の終着点であると言う根拠は存在しない。


しかし、こうした統合的変化に反発する人、不快に思う人、付いていけない人が出てくるのも当然のことだ。何らかのプロパティ(例えば日本人、例えば男性など)に対して帰属意識の強い人は、そうでない人よりナショナリズムや排外主義に陥りやすいが、時に自分たちの文化を守ると言った正当性を有する場合もあって、一概に外から間違っているとは言えない場合もある。また、誰しもが何かのきっかけでそうなる可能性を持っている。偶然重なったコロナ禍で行動上の閉塞感、停滞感が出て、心理的にも世界が狭く見えるようになったことや、実際にサプライチェーン問題が発生して中国などと一時的に「疎遠になった」ことをきっかけにして、グローバリストだった経営者がそうでなくなったケースも見ることがある。ともかく歴史には偶然の産物も含めてこのような政治的なバックラッシュが付き物であり、ただそうしながらも長期的にはあるべき方向へと向かってきたのである。

問題は偏って闘争的になること

以上のように整理した結果、グローバリズムの終焉という考えを筆者は支持しない。同時にバックラッシュを間違っていると決めつけるつもりもない。ただ本流を見失わないようにしたいのである。その上で新たに生ずる問題は2つである。第一は、バックラッシュの期間が長いのか短いのかと言う見極めの問題。第二は、一部の政治勢力がアンチ・グローバリズムの枠組みにかこつけて偏って闘争的になっていくリスクとそのコストである。


筆者は、2019年5月から「シリーズ中国」と題する超長期レポートを5本、折を見て発行してきた。このレポートもそれに連なる部分があるので6作目とする。それらのレポートで書いてきたことの骨子の一つは以下のような分析である。


「1840年時点で、すでに千年以上にわたって世界最大の経済大国は中国であった。最近の中国の躍進は約150年ぶりのカムバックに過ぎず、西洋人、特に米国のネオコンが考えるような新手の粗雑で後進的な挑戦者と見下すべきではない。むしろ世界史においては米国の方が高々ここ100年の新手の挑戦者である。中国のような大きな国は封じ込めることも、滅ぼすことも出来ない以上、中国を温かく受け入れ穏健な大国として軟着陸させることが、世界にとって最大の利益である。中国に対して脅しをかけることは完全な逆効果である。」

米中対立はごく最近の現象

しかし、現実にアメリカが行ったことは、筆者の提案と正反対であった。アメリカに対抗するライバルの登場を許さないというネオコンの思想(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)のような「偏って闘争的な歴史観」に基づき、中国を叩いて萎縮させ、矯正させようとしたのである。これに中国は反発した。


しかし、少し時計の針を戻せば、両国の関係はまったく異なっていたことを忘れてはならない。胡錦濤=オバマ時代は言うに及ばず、2017年4月の時点でもトランプは多くのビジネスマン同様にむしろ親中的だった。親しい外国要人しか入れないマーアラーゴの別荘に習近平を招いて数日を過ごし、最後の記者会見で彼は親しい友人であると述べている(トランプは貿易戦争が始まってもしばらくは習近平は友人だと繰り返していた)。2018年3月に鉄鋼とアルミニウムに高額関税をかける最初の「貿易戦争」を始めたときも、日欧を含む世界が対象であり、中国だけに絞った闘争を行っていたわけではなかった。要は、アメリカか、それ以外かがトランプ個人の境界線だったわけだ。


しかし、2018年7月になると貿易戦争のターゲットが中国に絞られる。この変化は以前も書いたように、中道だった前任者が続々と辞職してしまい、ボルトン安全保障担当補佐官、ポンペイオ国務長官と言った反中ネオコンが2018年4月に立て続けに入閣したことがもたらしたと考えている。突然大喧嘩をふっかけられた中国はしばし沈黙して裏で打開を試みるが失敗、徐々に硬化し対抗策を打ち出してくる。2019年3月には香港で逃亡犯条例を打ち出し、当初は大規模なデモが発生するが長期化と共に運動が衰退、イギリスとの約束期間を残して香港は実質的に自治権を失う。これに対して台湾を守るという名目で、アメリカは2019年7月に台湾に対してM1A2T戦車の売却、2020年8月にはF16戦闘機の売却を決定し、現状維持路線を改め「一つの中国」を実質的に否定する。そして最近のペローシ訪台、対抗してのミサイル乱射と続く。


このように時系列的に見ると、アメリカが先にアクションを起こし、中国が対抗するという図式が一般的で、日本でイメージされているように中国の軍事的野心に対して、アメリカが対抗という順序ではない。中国から見れば、先に現状変更しているのはアメリカである。


国内に大きな分断を抱えているアメリカは、外部に分かりやすいネメシス(宿敵)をつくることでのみ一致団結できるし、選挙で票も獲得できる。根強い黄禍論とコロナ発生源の誹りで、今は日系人を含むアジア系アメリカ人だけが肩身の狭い思いをしている。一方で、習近平も犠牲者というわけではまったくない。2期10年で終わるはずだった任期が奇跡的に3期に伸びたのも、まさにアメリカのいじめに強硬に対抗する過程で得た強いリーダーというイメージや、党内で権力闘争している場合ではないという危機感がもたらしたものである。トランプ、バイデンなくして習近平なし。米中ともトップが「対立で得をする」という実に困った構図なのだ。

欧米世論の反中傾斜も最近の現象

各国民の中国に対するイメージを長期調査している米ピュー研究所のデータを見ると、アメリカでは中国を好ましくないと見る人の割合が、2018年には47%だったが、2020年夏には73%に上昇している。オーストラリアは47%→81%、ドイツは54%→71%、イギリスは35%→74%であり、2018年以前は安定していたことから考えて、貿易戦争をきっかけにむしろ敵としての認識が強まったことが分かる。世論が貿易戦争を求めていたのではなく、貿易戦争が世論を形成していった形である。なお、日本は78%→86%で他のどの先進国よりも継続的に反中感情が強く、この例に当てはまらない。


このように米中対立はホワイトハウスの人事変化によって始まったここ数年の現象であり、世論はそれに追随しているだけである。だからと言って、短期的に修復できるということにはならないが、票が稼げるということ以外、このまま続けても理がないことは明らかであろう。米中ともに選挙、選出の季節が一旦は終わり、相互に対話が再開する状況にある。予断は許さないものの、米中のデカップリング、対立と紛争の時代は長期にわたる運命であると決めつける理由もないし、世界の政治家は自らの選択でそれを避けることもできる。経済人としては、デカップリング、ゼロ・チャイナを所与とせず、両睨みで対応するのが好ましいと考える。

国際社会という言葉

筆者が学生時代に国際政治や外交を勉強していた頃から、「国際社会」と言う謎の言葉が定義もはっきりしないまま使われ続けている。先生に聞くと、「それは全世界という意味ではなく、アメリカを中心とした西側世界のことです。」との答えが返ってきた。当時は冷戦時代である。実際、世界のGDPの大半はこの「国際社会」側が抑えており、「東側(ソ連圏)」と「第三世界(中国、インド、AA諸国)」はマイナーな脇役でしかなかった。


現在もこの定義自体は変わっていない。基本的に国際社会と言えば、多かれ少なかれアメリカに同調する先進国の集合体である。しかし問題はそれが経済的にも人口的にもどんどん小さくなって、もはや「国際社会」という名で呼べなくなってきていることだ。筆者のG17(主要17ヶ国)という枠組みで考えても、国際社会側でない中国、インド、ロシア、ブラジル、トルコ、タイ、南アフリカの7ヶ国で51%を占めている。購買力平価GDPで上位10ヶ国のうち、国際社会側のシェアは45%とマイノリティになっている。アメリカを中心とするグループだけでもう一度経済圏を作っても、かつての国際社会の栄光は戻ってこない。そう言った形勢の中で、アメリカが躍起になって政治的に単独ナンバーワンの地位にこだわり続けても、軋轢が増しリスクが増えるばかりである。中国問題の本質は、アメリカ問題なのである。

話が長くなってしまったが、最後に構造インフレ論に話を戻そう。図Aが示しているように、G17的なグローバル世界観からすれば、構造化するどころかインフレはもう終わっている。地球規模では前半で述べたような供給過多の構造が引き続き効いているからだと考えられる。つまり、構造インフレ論は、欧米先進国にだけ適用されうるローカルな議論である。もちろん、今の日本は自意識としては欧米側にいることになっているのだが、日本の足元のインフレは主に円安効果であって永続的なものではない。日本はもともと低インフレ体質であり、欧米とは少し立場が違う。


今我々が直面している課題は、ここから構造インフレになるか・ならないかを運命として予想することではなく、あえて政策的に国際分断を深めて構造インフレを作り出すか・出さないかの主体的選択であることを改めて強調したい。その点で経済安保という名の、一部の政治家主導の恣意的な規制の行方からは目を離すことが出来ない。また商圏を縮小される経済人としては、経団連などの組織を通してアメリカの対中戦略に唯々諾々と従うだけでは利なしと反論することも出来るはずである。

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