藻谷 俊介

2022年10月28日5 分

戦争と欧州

ウクライナ戦争については、2月、3月、5月、6月と書いて、それから今日までブランクがあったが、米戦争研究所ISWの画像ファイル分析は週1回ペースで続けてきた。陰鬱な王プーチンの歴史的動機から考えて長期戦は不可避という筆者の当初からの主張は当たったが、個々の戦況の推移については8月末からのロシア兵の戦線離脱など予想外の出来事もあり、なかなか先を読めるものではなかったというのが実感である。

むろん概して言えば戦線は膠着している。図Aにおいて今回の侵攻開始からロシア軍が新規に獲得した領域は赤い枠線で囲まれた部分だが、そのうち8月末からの「躍進」でウクライナが再獲得できた薄桃色の部分は、1/5程度に過ぎない(黒枠は2014年に親ロシア勢力が獲得した部分)。しかも、直近2週間に限ればウクライナ軍の再獲得領域はこの縮尺の図には表せないほど小さく、逆にドネーツク西方にはオレンジ色のロシア軍の追加獲得領域が現れてきた。そもそも8月末からのウクライナの戦功は、ロシア兵士の一方的な戦線離脱(敵前逃亡)によって空いた部分に軍を進めただけであり、実力で奪い取ったわけではないから、再現性がない。現地は零下になって、再び寒中の塹壕戦の気配が濃厚になっている。

アメリカの中間選挙は共和党がそれでも優勢であり、このまま推移すればウクライナ支援が先細りする可能性は高いことや、新規徴兵が練度も含めて思うような兵力増強に結びついていないロシアの状況を考えれば、程なく停戦協議が始まってもおかしくないのは冷静なる目には明らかだろう。とは言え、まだ双方に諦められない部分があり、また双方に打つ手もまだ多少はあるので、停戦が近づいていると言う実感はいまだ持てない。

なお、露軍による戦術核使用の可能性を、アメリカは定期的に繰り返して危機感を煽っている。筆者も可能性はあると言ってきた。しかし、前身である赤軍のドクトリンでは開戦直後に使用して敵の戦意を一気に喪失させる使い方しかなく、参謀本部的には後段になってうまく行かなくなってきたから核を持ち出すと言うのは本意ではない。実際このようなドクトリンは赤軍に限ったものではないが、そうした発想の根拠が広島、長崎への核使用で日本が一気にポツダム宣言を受諾した歴史的経験にあることはあまり知られていない。しかし、核を使ったら相手がすぐに降参すると言う発想は、今日の核戦力対峙状況や人権意識を考えれば旧い発想であることは否めないだろう。

残る欧州の問題

世界的にはインフレが退潮し、遅れたアメリカにもその様子が現れた今、残るは欧州である。しかし、どうやら欧州のリアルタイム・インフレはここに来て逆行する気配を見せている。

図B~Dを見比べると、その様子がよく分かる。図BはEurostatが合成している欧州全体のリアルタイムCPI、図Cがアメリカ、図Dが世界(主要17ヶ国)である。繰り返しになるが、世界全体ではインフレは順当に正常化してきており、遅れていたアメリカも8-9月で急速に正常化した。しかし図Bを見ると、欧州だけは一度は順当に低下するように見えたインフレ率が高止まりして、ともすれば再加速するような雰囲気になっていることが分かる。そもそも、右軸の目盛りを見れば欧州のインフレが並外れて激しいことも特徴的だ。ピークで15%、今も10%を超えたままである。Fedもびっくりだろう。

戦争の影、色濃く

こうなった原因は何なのか。やはり、それは近くで戦争が起こったからだと考えている。図Bと図Cを見比べると、2022年初めの時点ではどちらも年率8%程度で差がない。むしろ2021年を見ると欧州のインフレの方が全般的に大人しいのである。これはアメリカにはバイデン・チェックがあったことや、ワクチン開発国としての楽観で急に労働市場が逼迫したからであろう。しかし、2022年になると欧州がアメリカをあっさりと抜いていく。こうした特殊性は、戦争で説明するのが一番妥当だと思われるのである。

更に困ったことに、より川上の企業間価格を表すPPIが、欧州でのみ再び激しいインフレに見舞われている。先の3枚と同様に、リアルタイムPPIの速度計を欧州、アメリカ、世界の順に並べたのが図E~Gだ。図Eだけが、直近で再び大きくインフレになっている。右側の目盛りも極端に大きい。これは国際的な商品価格の動きとも異なっており、いわば欧州のローカル現象だ。つまりは冬場に向けた資源争奪、あるいは買いだめ、囲い込みなどの社会的な動き(便乗値上げの範疇)の結果だと考えて良いだろう。

欧州はローカル・リセッションの可能性も

このような逆風によって欧州経済がリセッションに入るかどうかはまだ確定的ではないが、可能性は高まっていると言わざるを得ない。

図Hの鉱工業生産は、まだ折れたという形にはなっていない。ただ、図Jの実質消費はすでに減少局面に入っており、呼応して図Kの輸入数量が減少している。また、輸出数量も伸びてはいないので、欧州経済は外需にも期待できない。インフレを抑制するために金融を引き締めれば、経済活動には更にブレーキが掛かる。春になればまた少し物価は落ち着くかも知れないが、それは半年先の話で恐らく間に合わない。要は急いで戦争を止める(停戦に持ち込む)以外に、うまい解決法はないような状況だと思うのである。

日本はずっと軽症だが、円安と転嫁遅れで...

話のついでに、日本も見ておこう。実は日本もリアルタイムのCPIインフレ率が少しだけ反転している(図L)。これはもちろん戦争ではなく、主に追加的な円安によるものである。資源価格のリアルタイム・インフレ率は図Mにある通り、加減速のタイミングはドルベースでも円ベースでも大差はない。しかし、今のようにゼロ近辺になってくると、ドルベースではデフレでも、円ベースではインフレと言うことが起こりうる。

実際に、日本の輸入価格指数を契約通貨ベースと円ベースで見ると、上と同様に円ベースだけ上昇に転じているのである(図N)。こうした原理に加えて、日本ではインフレの価格転嫁に及び腰だった企業が、下手をすれば過去の我慢分も含めて今ごろ価格転嫁に踏み切るような逸話も多い。むろん全部含めて図Lはせいぜい年率3%なので、景気が崩れるほどのインパクトは想像できないが、すんなりインフレ率が低下していかないこうした現象は、少なくとも目先1-2ヶ月は続きそうである。