藻谷 俊介

2022年7月12日7 分

元首相の弔い合戦ではなかった参院選

長年の読者ならご存じの通り、国政選挙の度に筆者は数値分析のレポートを出している。各選挙区の得票数を、候補の顔ぶれや経歴を見ながらインプットして、取り敢えず次頁以降の2枚のテーブルを作って日本の政党政治の構造変化を捉えつつ、各区個別の情勢にも目配りするのがその目的だ。300も選挙区がある衆院選だと3日程度かかってしまうが、45しかない参院選の入力作業は月曜日中に終了し、火曜日にはレポートが出せる。

今回の結果の概略を先に言うと、前回2019年とほとんど変わらない平凡な結果だったと言うことになる。投票日の2日前にあの驚愕する事件が起こったので、さぞ数値が変な動きをするだろうと思っていた筆者は、肩すかしを食らった気分である。

弔い効果が見られない得票配分

自民が45選挙区で45人*も当選した今回の結果は、一見すると「死せる孔明生ける仲達を走らす」だったように見えるし、実際に報道のイメージはそうである。事件は恐らく単独犯による個人的復讐である可能性が高いにもかかわらず、岸田首相はテロに屈せず民主主義を守ると大上段に構え、有権者は大義を感じて投票所に向かった...という筋書きだ。確かに前回2019年よりは投票率が高かった。

*平均すると自民候補は全45選挙区で当選したことになるが、青森、山形、長野、沖縄では落選し、北海道、千葉、東京、神奈川では2人ずつ当選した。因みに2019年は38人、2016年は37人だったが、アベノミクス真っ最中の2013年には47人(当時は47選挙区)を達成しているので新記録ではない。

しかし数字は弔い効果を示していない。表Aで前回2019年と比べると、自民党の得票率は、選挙区でも、比例区でもむしろ若干低下している。前々回の2016年と比べると尚更である。率ではなく票数ベースで見る表Bでは、投票率が低かった前回よりは多いが、2016年よりは少ない。対する立民も、得票率や票数を特別大きく失ったわけではないことも分かる。ただ、国民と合わせた「旧民主ベース」での得票率は、過去3回の中で低減してきている。これが後述する問題②である。

自民が勝てた本当の要因は何か...ミクロ分析

ではなぜ似たような得票率なのに、前回に比べて自民は7議席も増やすことができたのか。その理由を知りたければ、今回、自民が野党から奪い取った、岩手、宮城、秋田、新潟、滋賀、愛媛、大分の7選挙区を順に見ていくしかない。

東北は岩手を筆頭に、小沢一郎衆議院議員が長年、盟友たちと組んで地ならししてきたため、旧民主系が強かった。ただ、その小沢も現職ながら80歳。その権勢が衰えるに従い、東北も普通の保守的票田に戻ってきている。岩手は2019年にも自民候補が僅差に迫っていたが、今回はどちらの陣営も票数を減らす中で自民が僅差で逆転した。力は拮抗しており、定着するかどうかはまだ分からない。宮城は1人区だが大都市仙台があるので、東京などと重なる都市的投票パターンが見受けられる。自民候補の得票は前回とさほど変わらないが、今回は維新が初めて候補を立てたので、野党票が分散した。ただすべての野党票を合わせても自民ベテラン現職候補の得票数には及ばなかったので、他の都市部でも見られる野党勢力の衰退というパターンも混ざる。秋田は本来自民が強いのだが、前回は野党共闘が実現して自民が負けた。今回は、立民、国民がそれぞれ候補を立てたので分散し、自民が議席を取り戻した。

新潟は、どことなく越山会流の「新潟モデル」と呼ばれる多方面の緻密な連絡協力体制が、民主王国を築いてきたが、これも東北と同様、賞味期限切れで体制にひびがはいり、分裂が始まっていた。自民の若手新人も頑張って票を伸ばしたので、今回ついに逆転することになった。滋賀は、前回2019年は嘉田由紀子に野党総乗りで勝つことができたが、今回は共産が候補を擁立して分散。また、宮城同様に都市部的な野党弱体化も見られた。愛媛は重鎮自民議員に無所属タレント新人が挑む構図で、この地では最初から勝ち目がなかった。前回野党が勝ったのは、自民が後継者難で穴埋め的にタレントを擁立したため。大分は保守県でありながら工業県で組合も強く、前回は選挙協力で野党が候補を一本化できたのに対し、今回は共産が独自候補を擁立した。

このように個別事情はそれぞれ異なるが、①野党が選挙協力を控えて分裂してしまった、②旧民主系のモメンタムが低下した、③小沢一郎、田中真紀子と言ったかつての民主党実力者の時代が終わった、と言ったあたりが原因であると言える。3つとも野党側に非があり、自民が勝ったのではなく、野党が負けたことを示している。野党がこれを「元首相の弔い合戦には勝てなかった」と誤って総括してしまえば、次回も苦しむことになるだろう。

総括を誤ったと言う点では、昨年の衆院選2021を分析した際にはっきり示したように、野党の選挙協力には十分に効果があったにもかかわらず、分析を誤って「議席を失った=効果がなかった=単なる野合だ」と表面的に判断したマスコミの主張に飲まれてしまったこと。それによって野党は今回、選挙協力に及び腰になってしまっていた。正しい総括をすることが野党には死活問題となるのだが。

維新の躍進はいつの話か

今回も維新の躍進がニュースになったが、これに対する筆者のコメントは、昨年の衆院選2021と同じである。確かに表A~Bを前回2019年と比べると、維新は選挙区で3.2%、比例区では5.0%得票率を増やしており、少なくとも比例区では立民を上回った。ただし議席数は選挙区で1減(東京を失った)、比例区で3増、差し引き2増に留まったので、野党第一党にはなれなかった。

欧州などで既成政党が没落し、できたばかりの新党が瞬く間に政権奪取に近づくのを見ていると、日本でも維新が同様の存在になるのではないかという論調をよく目にする。維新の伸びは社会の保守化の象徴であるかのような意見もある。どちらも部分的には否定できない議論だと思う。しかしそれらは短期記憶の話であり、表A~Bを見れば、2012~2014年頃には今回と並ぶか上回るほどの得票率を得ていたことが忘れられている。当時はみんなの党と並ぶ新党ブームの立役者であり、既成政党への不満の受け皿となっていた。今回同様に、比例区では民主党の得票率を上回ることもあった。従って、結局、維新は元に戻っただけ、と言うのが正しかろう。つまり、維新は一時期分裂などで小さくなり、おおさか維新や希望の党の時代を経て、再び元のサイズになったのだ。だから維新の課題は「このあたり以上に大きくなれるか」なのである。特に衆議院の選挙区攻略は難題で、結局それは、政策立案力のある優秀で良識のある若き人材が、全国的に維新の門を叩きに来るかにかかっている。ただそれについては、むしろ次の項で述べる新党に筆者の目が行ってしまうのだ。

参政党はテスラ?

今回初登場でいきなり比例区でN党や社民を上回る票数を得て、1議席を確保した参政党には驚いた。なぜなら単に比例区で伸びただけではなく、選挙区にも尽く候補者を擁立し、その多くがN党や幸福実現党などを大きく上回って、主要政党に次ぐ票数を得ているからである。ただ候補者の頭数だけ揃えたわけではない、本気を感じる。

その原動力はオンラインでの選挙活動であり、支持層の詳細はまだ分からないが、恐らくミレニアル以下の若い世代の支持を中心にしていることだろう。維新としてもうかうかしていられない、大変気になる存在であると思う。オンラインと言っても、ウェブサイトにはあまり中身はなく、動画やSNSを中心に既成政党にはもう任せられないとの主張を展開しており、筆者の判断では現在の若年層で主流となっているセンターライトのイデオロギーを有しているように思える。選挙界におけるテスラと言うべきか、これまでの仕きたりには無頓着で一から自分たち流に動いており、ノーマークでいると突然どこかで急成長してくるのかも知れない。

膠着する1.5大政党制

このように考えてくると、一見すると弔い合戦で与党圧勝という大きなドラマがあったように見えて、基本構造は前回とあまり変わらない、むしろ平凡な選挙に終わったのが今回の参院選だ。

筆者は、前職の時代から日本は保革1.5大政党制の国であり、政権交代可能な保守二大政党制は実現しないし、まして小選挙区制は1.5のうちの保守1の弛緩した長期支配を招くと反対してきた。まさに昨今の政治である。むしろ日本の政治文化に合っているのは中選挙区制で、かつてのように常に過半数ラインを攻防させて、保守の1にも緊張感を持たせるべきだと言うのが筆者の主張だが、これも見える範囲での実現性には乏しいだろう。今回の結果を見ていると、野党に選挙協力機運が戻ってきたとしても政権交代は難しいと思わざるを得ず、与党の絶対安定多数が平衡状態となって定着してきた印象を受ける。

なるほど選挙結果をいくら分析しても、明日の政局は分からない。しかし日本の政党構造の変化を毎回きちんと理解しておくことは、日本経済のより長期的なシナリオを考える上では必ず意味のあるものだと信じている。