藻谷 俊介

2021年12月27日10 分

コロナ拾遺 24 オミクロン特集

オミクロン発覚後の世界の変化を並べてみた。個々のトピックはもちろん末尾のグラフ類にもぜひ目を通して頂きたい。

オミクロンとメシア期待

日本でもオミクロンの症例が増え、足元では感染者が急増している。図1に示したように、南アフリカの感染増は(前号での筆者の期待を裏切って)ほぼ純オミクロンであったため、過去と比較して凡そ2~3倍の勾配を持っている。欧米のようにデルタがまだ猖獗している国では、デルタとの平均的な伸び率で済むが、日本も南アフリカと同じくデルタがほとんどいない状態からのスタートなので、過去に倍する勢いとなる可能性が高い。

図6で言えば、第5波は谷から山まで約2ヶ月だった。足元の第6波は谷が2倍深いので、第5波のピークに並ぶまでデルタならざっくり4ヶ月かかるはずだが、オミクロンなら2ヶ月以内に新高値更新ともなり得る計算である。もちろん初期の検査・隔離対策の巧拙や人流の増減などでも線形は変わるので、単純に予想すべきものではないが。

このような抗しがたい厳しい現実に対して、筆者の周囲では「ウイルスは弱毒化するからオミクロンは意外にも救世主」と期待あるいは信じ込む人が増えており、諸外国の報道でも弱毒化に期待する声が不思議に最初から大きかった。確かにそろそろメシアの降臨に期待したくなる頃合いだが、数字的に意味のある弱毒化でなければ仕方ないのである。

弱毒化のメカニズムへの誤解

ウイルスは自発的に弱毒化するような「戦略」を持っていると勘違いしている人が案外多いが、それは違う。偶然の変異の中から適者生存となるだけであり、後から見てそれが戦略のように見えるだけである。そもそも弱毒化したウイルスが勝つメカニズムは、以下のようなものである。感染した2人に1人を殺すウイルスがあったとする。その変異種がたまたま弱毒化し10人に1人しか殺さなくなったとする。100人のうち50人を殺してしまうウイルスは、第二世代で残った50人から増殖することになるが、10人しか殺さないウイルスは90人から増殖できる。その差は大きい。これを何代か繰り返すうちに、前者は駆逐されていく。当たり前だが宿主を殺さないウイルスほど勝つのである。

しかしこれをコロナで考えてみよう。コロナはもともと100人に2人しか殺さない。そこに100人に1人しか殺さない変異種が現れたとしても、第二世代の増殖開始では98人と99人とわずかの差しか出てこない。非常に長い期間をかければ後者が伸していくとしても、他の環境要因によって容易に逆転したり、その間にまた別の変異をしてしまう公算も高い。また実際はワクチンの存在によって、今のコロナウイルスは100人に2人も殺せないので、差はさらに小さい。つまり、元から宿主をあまり殺さないコロナの場合、弱毒化したものがそれほど劇的に勝つことはないということである。

オミクロンの場合は、弱毒化とは関係なく、変異そのものによってデルタより感染力が高い。それがたまたま1/2弱毒(後述)だとしても、2倍の人に感染すれば、医療圧迫は一緒である。この辺の数字のロジックがないまま、オミクロンをついに現れ出でた救世主と考えることはできないのである。

発表され始めたオミクロン研究

さて21-22日にかけて、オミクロンの弱毒性を推計した本格的なプレプリント論文が3つ現れた。待たれていたものである。①WHO/Imperial College London、②University of Edinburgh/Public Health Scotland、そして南アの③National Health Laboratory Serviceによるもので、いずれも公的データベースを使った机上研究である。それぞれメソドロジーに違いがあって比較評価は困難だが、数字だけ並べると、デルタに比べてオミクロンは入院hospitalisationを①40-45%、②約3分の2、③80%ほど減少させるとなっている。

①はデータがきちんと補正されて階層化されており、イングランドベースなので母数も大きく、論文としてダントツの出来である。②③はワクチンの効果を除外した記述や形跡がなく、特に③の南アフリカではちょうどワクチン接種の進展と合わせてオミクロンが拡大したため、ワクチンの効果が加わって数字が大きく出ている可能性が高い。と言うことで、オミクロンの毒性(これも様々に定義しうるが、論文では入院を迫る能力)は、今のところは①に基づきデルタの最大1/2と考えておけば良いと思う。

毒性1/2と言うのはワクチンも普及した一般的状況での評価であって、論文中のワクチン未接種者同士における毒性比較ではオミクロンの毒性はデルタの76%で、純粋にはさほど低下していないことも明記しておく。なお、この研究ではオミクロンによる入院確率を最も小さくするのが、ファイザー3回ではなく、アストラゼネカを3回接種した階層だったことは、アストラゼネカを選択した筆者を少し安心させた。

喉(上気道)での増殖の意味

ところで南アフリカの病院発の別の研究では、一部のオミクロンが肺まで達せず、上気道(喉)で増殖するケースが見られることが、重症化を抑制すると同時に、感染力を高めるのではないかと推察している。喉での増殖は風邪コロナウイルスに近い性質である。ただし、肺まで達したケースでの重症度はデルタとほぼ同じとなっているので、COVID-19本来の毒性が低下したわけではない。ただ、仮にオミクロンの1/2が上気道で止まってくれれば、ざっくり前述①のように入院が半分になる説明がつく。むろん2倍以上のペースで感染すれば(そしてそれは現実である)重症者数(≒医療圧迫)は逆に増えてしまう理屈は繰り返さざるを得ず、実際、上記の論文はみなそのようなリスクを指摘している。

従って、オミクロンそのものは救世主とは呼べない。そもそもワクチン2回ではほとんど効かず、ブレークスルー感染や一度罹った人の再感染が日常茶飯事となるだけでも、まず人々は恐怖におののいてしまうだろう。①によれば、オミクロンに罹った人の13%は、コロナ罹患2回目以上である。ただ、オミクロンを起点にした将来の変異の中に、より風邪コロナウイルスに近い性質を持ったものが出てくる可能性は残されているかも知れない。

エンデミックという言葉

最近、海外ニュースではエンデミックendemicと言う単語がよく出てくるようになった。パンデミックpandemicはpan+demicで「広く+民衆」という意味だが、endemicはen(=in)+demicで「中へ+民衆」ということである。コロナ禍のエンド(終わり)ではない。

エンデミックと言うのは本来はパンデミックよりも地域限定的、季節限定的な感染を指す言葉だったが、最近のコンテキストでは新規感染者数の低減から重症者数・死者数の低減へ政策目標を移し替え、いわばインフルエンザのようにコントロールして共存していくことを指している。筆者がこれまで「インフルエンザ的決着」と表現してきたことと同じである。恐らくエンデミックは日本語のウィズコロナにも包摂されるが、ウィズコロナは単にポストコロナの対義語で、具体性のない言葉だと言えるだろう。

エンデミックでは、ワクチンが高齢者の重症化予防に一定の効果をもたらすことを前提にして、通常の感染に対してはあくまで新開発の飲み薬による自宅治療を中心とし、入院を必須としないことで医療崩壊(死亡)の懸念を減らす。つまり新規感染者数の低減から死者数(重症者数)の低減へ政策目標を移し替え、ワクチンと飲み薬の二重防壁で死者数(重症者数)をコントロールする。それもできなくなった時に初めて、経済に制約をかける。まさにイギリスのジョンソン首相が7月に宣言したような内容であり、その後、豪州やシンガポール、最近では韓国が追随してきた(いずれも過渡的状態であり、若干の行ったり戻ったりはある)。

これらの国では軒並み感染者が増えているが、死者数は抑制されており、接触制限やロックダウンは限定的である。イギリスは特に優秀であり、死者数も病院ベッドの利用数も、フランス、ドイツ、その他と比べると小さい(図AB~AFおよび図AL)。

制圧にこだわってきたバイデン政権も、オミクロンの登場によって現実に目覚め、死者数重視の政策に切り替える内部議論を始めたとの報道もある。目下の支持率の低下もあって簡単には進まないかも知れないが、アメリカがエンデミックに方針を変えるとインパクトがあり、特に日本には大きな影響が出るだろう。日本や中国ではまだ新規感染者数が少ないことだけが目標であり、誇りでもあり、Zero Covidの旗が降ろせない。日本もついに5~11歳にまで効かないワクチンを打とうとしているが、引くに引けなくなった「専門家」たちの悪あがきであり、そんな限界的政策ではR0≒10のオミクロンの感染拡大は防ぎようもない。表2が示すとおり、明らかに死亡が集中している高齢者に早く3回、4回とワクチンを打つことが、むしろ死者を減らし、病院への圧迫を緩和するのだが、ブースター接種はいつまで経っても始まらない。子供も大人と同じように死ぬインフルエンザと違い、子供の優先度は低い。

それでも2022年のどこかで岸田さんの口からもエンデミックと言う言葉が飛び出し、日本もエンデミック元年になるのではないかと期待するが。

アストラゼネカもエンデミック

9/27号で紹介したように、アストラゼネカは「パンデミックでは荒稼ぎしない」として、最初から原価でワクチンを提供してきた(1ショット4ドル、ファイザーは20ドル)。しかし、11/12にソリオCEOはパンデミックは終わり、エンデミックになったとして、マイルドな利益を求める方針に転換した。具体的な価格は発表されていないが、国の豊かさに応じた階層価格で、引き続き他社よりは廉価で提供すると言う。まだ当面は4ドルで契約済みの分が残っていることもあり、このニュースでアストラゼネカの株価は逆に低下した。オミクロン発覚以前の話である。

チリ変異種のその後と天下統一

同じ9/27号で、チリではデルタが頭打ちで、ガンマ、ミュー、ラムダのシェアが大きいままの状態が続いており、それでも最終的にデルタが制するのか、独自の地域色が残るのか興味深いと述べた。その後の経緯は報告しておく必要があるだろう。結論から言えば、最後はデルタが他をすべて駆逐した。同様にエジプト型C.36およびC.36.3一色だったエジプトも、11月頃になるとデルタにほぼ置き換わった。他にもインドネシア型B.1.466.2などアルファには陥すことができなかった地方の有力変異型も、デルタにはすべて負けて、いわば秀吉(デルタ)の天下統一となったのだが、今、それが一斉に徳川(オミクロン)に取って代わられようとしていることになる。

南アフリカの感染者減少は奇跡?

最後に図1の末端が低下していることに関しての若干の考察である。冒頭で述べたメシア待望論の一種と言うべきなのか、南アフリカでは「オミクロンは急速に感染を増やすが、あるところで止まり、自発的に減っていく」という奇跡のような期待が高まっているらしい。そんなことがあれば良いのだが、なかなか理屈に合わないのである。ワクチンが注目されればすべてワクチンで説明し、オミクロンが注目されればすべてがオミクロンの性質で説明される世の中だが、そうした一変数モデルではこの多変数環境を説明できるはずがない。

筆者は例によって、Google Mobilityを持ち出した。南アフリカ全体の数値は動きが緩慢なので、感染の舞台となったハウテン州の人流を取りだした。州とは言っても、最大都市ヨハネスブルクや首都プレトリアを擁する都市部であり、日本で言えば1都3県に相当する存在である。図3が示すように、月末月初が高い1ヶ月周期のぶれがあって見にくいが、黄線のトレンド下側から下方に外れて人流が減っていることが分かる。月初のピークからなら15%ほど人流は減っている。図1も大きく減少したとは言えず、7月の赤矢印の部分と比較すれば、今回もちょうど人流減少で説明できる程度の感染者減少ではないか。

図AGの下の方に緑線で示したが、南アフリカはデルタ中心の第3波が終わる9月頃からワクチンが意味のある接種率になってきた。従って今、免疫は増える一方で、減弱は始まっていない。日本もそうであったように、その過程では当人たちが不思議になるほど感染が収まる瞬間があって、トンデモ・サイエンスな説明が流行ったりするのだが、恐らく多くの場合は人流で説明できる。南アフリカのまるで奇跡を見るような世論は、いずれ免疫が減弱し、また人流が復活することで、修正されていくことになるだろう。