藻谷 俊介

2021年4月22日5 分

インド、ブラジル、そして日本

最終更新: 2021年5月17日

コロナ拾遺19を発行した後、読者から「インドなどの感染者急増をどう考えるべきなのか」、「新たな変異種はどのくらい脅威なのか」と言う質問を頂いた。インドにはしばらく触れていなかったこともあり、世界経済へのインパクトなどに鑑みて、レポート発行の必要ありと考えた。

インド型という耳慣れない変異種の特徴

インドの窮状は、図Vを見れば一目瞭然である。現在インドで急増しているのは、B.1.617とコード化されたインド独自の変異種である。現地報道を見ると、マハラシュトラ州では新規感染の6割がこの型になっていると言う。

メディアでは二重変異型などと呼ばれているが、学問的な表現ではなく、その意味はウイルスが細胞に侵入する時に使うスパイクタンパクのRBD部分に2つの変異があったというだけのこと。珍しいことではない。ちなみにそれらはE484QとL452Rだ。以前も簡単に述べたが、例えば前者は484番目のアミノ酸(アミノ酸が脱水して繋がったものがタンパク質である)が初期型のE(グルタミン酸)からQ(グルタミン)に変わったと読む。ブラジル型や南ア型のE484Kとは変異の箇所は同じだが、Kはリシンだから変わった後が違うわけである。

一般論として、こうした変異は他のタンパク質との繋がりやすさを変えてしまう。細胞への入口であるACE2もタンパク質であり、ワクチンが作り出す抗体もタンパク質だ。英国型などに見られたN501Yは、ACE2との結合性を高め、ウイルスを細胞に入りやすく(感染しやすく)した。ブラジル型、南ア型などに見られたE484Kは一部のワクチンや自然免疫の作り出した抗体との結合性を下げ、免疫効率を落とした。どちらもヒトにとっては悪性の変異だったわけである。ただし12/25号に図示したように変異種は既に何百とあって、そのほとんどは悪性ではない。

インド型のE484QとL452Rについては、目下全力で研究が進められているが、まだよく分かってはいない。コンピュータ・シミュレーションの結果はそろそろ出てくると思うが確実ではなく、疫学的(=統計的)な確認が必要になるのである。ただ、これも一般論だが、E484Qのグルタミン酸からグルタミンへの変化は比較的微小であり、そこまでの抗体結合性の低下は起こさないのではないかと思う。つまり従来のワクチンでもまずまず効くと筆者は期待する。

一方、L452Rはカリフォルニア型(B.1.427/429)で前例があり、米CDCは感染力が最大2割ほど高まる可能性を指摘して警戒リストに載せている。L452はN501の裏手のような位置にあるので、変異による電荷の移動などを通じてN501の活性が高まるという仮説は一考に値するだろう。ただ、繰り返しになるが、こうした反応のメカニズムは動的で極めて複雑であり、変異の相互作用で予想外の結果になることも多い。従って最後は統計的に現実を確認することが必要になるのである。

なお、東大のKei Satoらによる4/2付bioRxiv掲載論文によると、L452Rは東南アジア人、日本人などに多いハプロタイプHLA-A24の細胞性免疫(キラーT細胞による病原細胞の直接攻撃)を著しく低下させることが確認できたと言う。日本人は32~36%がHLA-A24(A*24:02)を有する。ただし、コロナウイルスの抑制において細胞性免疫がどれだけの貢献をしているのかは不明であり、「日本人に免疫がない」、「アジア人殺し」という言い方は不適当である。ワクチンが作り出すのは細胞性ではなく液性免疫であり、それを妨げるものではないからだ。例えばカリフォルニアは日系含めアジア系が多いが、すでにカリフォルニア型も鎮静傾向にあるので筆者はL452Rをそこまで心配していない。

インドの感染爆発は変異種だけのせいではないだろう

変異種への警戒は昨年からの筆者の持論ではあるものの、何かとそればかりが原因とされがちな最近の風潮には弊害も感じるようになっている。ウイルスが繁殖する原理は、あくまで人間同士の接触にある。従って接触頻度を無視して、感染力の増加だけを論じることには意味がない。疫学では、両者の積が再生産数を決定する。

左上図はインドのGoogle Mobility指標であるが、それが示しているのは、インドでは人々が徐々に普通に出歩くようになってしまっていたことである。目下の感染者の急増で、さすがに今月に入ってからは行動の再抑制が見られるようになったが、その直前にはコロナ前水準(グラフ上端のゼロ)にかなり迫るところまで行動が自由化していた。これでは、変異種であろうとなかろうと、確実にウイルスは広がってしまう。

B.1.617がインドで発見されたのは昨年10月初旬であり、6ヶ月以上かかっても一部の州で最大6割にしかなっていないと言うことは、現実的には感染力がそれほど高くない可能性を示唆している。図Vを見て「変異種のせい」と考えたくなる気持ちは分かるものの、筆者はあくまで原理に忠実に、インド人の接触頻度増を感染急増の第一の理由と考えるべきだと思っている。目下の行動抑制は、ある程度の時差を伴って図Vにも表れてくるだろう。

ブラジルそして日本

こうした気の緩みは何もインドだけの話ではなく、程度の差こそあれブラジルや東京、大阪を始めたとした日本の都市、あるいは欧米でも見られてきた。

ブラジルも図Wのように、感染者が一度もまともに減少したことがない恒常的な感染絵図の中で、人々の活動レベルはコロナ前を上回るところまで活発になっていた(前頁)。ただ、インドよりも早く変異種が認識されたことで、昨年末から行動は抑制傾向にある。

インドも、ブラジルも、人々の活動レベルと新規感染者数との間に連関を見いだすことができない。次頁からの図1~4のように説明性のある閾値を求めることができないのだ。これは国土が広く、国平均としての活動レベルと地域毎の流行とが連関しないためと取り敢えず考えているが、他にも様々な要因が考えられるので、今後の研究課題であると思っている。

大阪は下図のように行動が急速に抑制されてきたので、多少は効果が見えてくるだろう。むしろ東京はあまり抑制されておらず、図Bにおいても加速感が出てきたので注意が必要だ。