藻谷 俊介

2022年3月28日9 分

「弱いロシア軍」がもたらす変化

ここまでのウクライナ戦争の経緯を振り返って、戦線の帰趨を決定した最も重要なファクターは「弱いロシア軍」であったと筆者は思う。確かにウクライナ人も勇敢だったが、相手が強ければこうは行かない。筆者は2/24号、3/8号を通して、ウクライナ、ロシアの深い民族的繋がりからロシア軍兵士の士気が上がらない1つの理由を説明した。それも確かに大きな要因だと思ってはいるが、報道される様々な写真を見ていると、「装備、用兵とも軍隊として旧式」と認識せざるを得ないのである。今ごろペンタゴンは、(核ミサイルを除けば)ロシア軍は敵ではないと凱歌を上げているかも知れない。一昨日のバイデンの行き過ぎたコメント(後述)の裏にも、どことなく横柄さが感じられたが、こうした力学的な変化は今後の世界動向を見通す上で極めて重要と言えるだろう。

グルジア戦争からの14年

2008年のロシア=グルジア(ジョージア)戦争で、ロシア軍がグルジア軍に圧勝できなかったことは、筆者にとっても驚きだった。当時の大統領メドヴェージェフは、サルコジの仲介に乗って、ちょっと勝ったところでさっさと停戦してしまったが、おかげでロシアは本格的な経済制裁を受けなかったとは言え、実際のところ継戦しても意味がないような状態だったのである。ロシア軍には頑丈な兵器や強力な火力はあっても近代的な戦争をする装備がなく、無線機もろくに機能しないような状況で、特にコンピュータ化が進んだ西側の指揮管制システムの持つフレキシビリティーがなかったことが判明した。不案内な地勢では、情報を共有しながら孤立しないように前進する必要があるが、それができないので、コーカサスの山麓で友軍はどこだと同じ所を行ったり来たりしていたのである。

ソビエト崩壊後のロシア軍に問題が山積していたことは、もちろんロシア人が一番知っていた。戦争の前年の2007年に、プーチンは民間のビジネスマン出身のセルジュコーフを国防大臣に据えて、大改革を指示していたのである。民間人が大臣になったことでロシアの将軍たちは大変憤り、あらゆる手を尽くして彼を退任させようとしたが、プーチンの強い後押しがあったセルジュコーフは、ロシア軍紀に示されている軍人の体力基準を持ち出し、メタボな将軍たちがみな体力テストに落第したことを以て正当にクビにして、人事刷新を図ったという嘘のような話がある。通常の軍は、兵10~20人程度に対して将校が1人程度の比率だが、当時のロシア軍は兵2.5人に1人(下士官以上)と言うほど管理職過多の状態だったのを、大規模なリストラで半分以下にスリムにした。まずは企業経営的な手法で軍の機構改革を行い、捻出した予算で軍の近代化を進めたわけである。敵をたくさん作りながら改革の起点を作ったセルジュコーフは5年で職を去り、その後は現在の国防大臣であるショイグーが軍の近代化を引き継ぐ。その間には、新兵器も導入され、コンピュータ化も進んだ。ただ2人合わせて15年の年月を経て、ロシア軍は変われたのか?と言うと、今回の闘いぶりを見て正直疑問になる。ロシア軍は今回既に7人の将軍generalを失っていると騒がれているが、引き続き将軍の数が多いこともその一因である。

ロシア軍の弱点は、まず広すぎる国土と、それ対比の経済力のなさから来る低予算である。加えて歴史的なプライドだけ高くて頭でっかちの官僚的な組織、統合オペレーションやそれを指揮する責任者が不在で各部隊の自発的な先陣争い、勇猛競争に任せる放漫*、兵器産業の過度な統合がもたらした技術開発能力の低下、はびこる新兵いじめ(ただでさえ入隊希望者が少ないのに)、などの宿痾がある。インタビューされた捕虜の若いロシア兵の線の細さ(体格ではなく怯えぶり)を見ても、14年前とあまり変わっていない感じがする。無線機の故障もまったく改善していない。

*これは旧日本軍にも通じる点であり、兵站線確保の困難や、兵の規律の低下など、日本軍の中国戦線での失敗を知る者にはよく分かるはずである。

西側兵器のジャヴリン、スティンガーってそんなに凄い?

ウクライナ軍も装備の貧弱さでは負けない。ソ連崩壊後の独立時には、旧ソビエト軍装備の分配があって、戦車も4千台ほど持っていたが、資金難で3千台以上は売ってしまった。艦船もほとんど売って、その中にあった艤装前の赤く錆びた空母ヴァリャークは、中国で完成されて同国空母第一号の「遼寧」となった。一隻だけ残った潜水艦はロシア軍のクリミア侵攻で鹵獲されてしまった。こんな具合なので、当初はロシアは難なく電撃戦を展開するだろうと筆者を含む多くのミリタリー・ウォッチャーは思ったはずである。ところが、ベトナム戦争がそうだったように戦争には非対称戦という形式がある。携行型兵器で、機械化部隊を殲滅するようなことも起こり得ると言えば起こり得る。

ただそこからがロシア軍の問題である。現代の軍隊なら、そんな非対称戦にも勝てるような軍隊でなければならない。ウクライナ兵が対戦車ミサイルを物陰から撃ってきても、やられていてはダメなのだ。今回見た映像の1つに、ロシア軍の各種戦車が15台ほど、縦列になって真っ黒焦げになっているものがあった。装備の損耗もばかにならないが、1台に4人とすれば、これだけで貴重な戦車兵が60人死んでいる。それを見てテレビ解説者が、「これがアメリカから供与されたジャベリンという新型ミサイルの凄さで、打ちっ放しで後は勝手に目標に向かうのでその間に撃ったウクライナ兵は逃げることができるし、その上、最後に飛び上がって装甲の薄い上面から戦車に突入するのでひとたまりもないんです」と説明する。

ジャベリンは誤読で、ジャヴリン(Javelin、eは発音しない)なのは置いておくとしても、これは新型ミサイルでも何でもない。ジャヴリンが制式採用されたのは1996年で四半世紀以上も前のことだ。イラク戦争でも使われている。こうしたミサイルに対して、現代の戦車はAPS(Active Protection System)という対抗手段を持っている。そうでなければ安価な携行ミサイル1発で、高価な戦車と貴重な兵士がほぼ確実に失われるのだから当然なのである。APSはレーダー、赤外線など各種センサーを使って飛んでくるミサイルや砲弾を感知して、そちらへ手榴弾のようなものを飛ばして弾幕を張ったりして、空中で破壊するシステムだ。中には直後に敵の発射地点まで計算して報復攻撃する能力がある装置もある。

ロシア軍には昔から使われているアレーナというAPSと、まだ20台程度しか保有していない新型戦車T-14アルマータや、T-15歩兵戦闘車に搭載された新しいアフガニートと言うAPSがある。アレーナは仰角20度までしか対応していないので、上から突入してくるジャヴリンには効かない。アフガニートの仕様は公開されていないが、まず打ち落とせるのだろう。しかしジャヴリンが登場して四半世紀を経ているのに、ロシア軍はアレーナの性能向上やアフガニートのレトロフィット(旧式車両への遡及装着)ができていなかった。このような装備では、兵士たちは怖くて、とても進軍する気にはなれないわけである。地上最強のランドパワーを自負していたはずのロシア陸軍が、15年間の改革で一体何をしていたのかと思うのだ。

もう1つ話題になったアメリカ製の携行型地対空ミサイル、スティンガーはさらに昔(1981年)から制式採用されている40年選手だ。ソ連がアフガンに侵攻した時、アメリカに支援された後のイスラム過激派(ムジャヒディーン)は、スティンガーでソ連の戦闘機やヘリを多く葬った。その同じミサイルで、今も新鋭のロシア軍機が多数落とされていることにも驚くばかりである。この様子を見る限りでは、ロシア軍はNATOの敵ではないという印象を持つ。時代に取り残されている感じがする。

ロシア軍に自らの犠牲少なくできることは、遠くからミサイルや自走砲を使って、市街地をめくらめっぽう破壊することだけだ。歩兵同士の近接戦は可能だが、これも守備側の勝手知りたるウクライナ兵に比べれば損耗が大きいことは明らかである。核使用などを除外すれば、今から打てる手はほとんどないことになる。

陸軍が総兵力の7-8割を投入してこの有様で、空軍も完全には制空権を掌握できない状態なら、ロシア軍懼るるに足らずという認識が西側に拡がることは避けられない。NATO内部でも、辺境国であるポーランドやバルト3国を中心に、もっと積極的な関与を求める声が日増しに強くなっている。中国もなるほどこんな展開か、とつぶさに観察しているだろう。もちろん中国軍は巨大ながら自衛隊と同じく実戦経験がないので、軍隊としては強くないと筆者は認識しており、中国が沿海州を取り戻そうとロシアに攻め入るなどと言う意味ではない。ただロシアがこの問題を解決できないまま経済的にも弱体化していくなら、世界の地政学的バランスは大きく変わり、ロシアは核依存をますます高め、世界は不安定化してしまうかも知れないと考えている。一般に相手が強いと想像することで戦争は避けられるのであり、皮肉なことにパリティが平和を生む。それが流動化するのである。

バイデン失言とウクライナ戦線の先にあるもの

もちろんまだ戦争が終わった、あるいは終わりつつあるわけではない。ルツコイ露副国防相による「今後はドンバースの解放に焦点を当てる」という声明は、上で述べてきたロシア軍の窮状と仕切り直しの必要性からも正当化されるが、単に国内向けのメッセージである可能性もある。また、ウクライナ軍はこれに乗じて攻勢をかけているが、ドンバース以外の既に確保した地域からロシア軍が明確に撤退するところまでは確認できていないし、兵力再編の後、再び前進してくる可能性もある。ウクライナも現状の軍事境界線での勢力確定は望んでいない(できれば押し返したい)。つまり正式な停戦協定がない限りは、消耗戦は続くと考えるべきであろう。

冒頭で述べたワルシャワでのバイデンのコメント「For God's sake, this man cannot remain in power. もう勘弁だ、この男は権力の座には留まれない」は、アメリカ大統領のコメントはすべて重要な意味を持つと考えがちな日本のメディアからは、プーチンに対抗する強い決意を示したと思われがちだが、筆者にはただ口を滑らせただけに見える。バイデンが感情的になりやすく時折このような老人特有の口の悪さをさらけ出すことがあることは、トランプのとはまた違った意味で、米メディア界では広く共有されている常識と言うのがこれまでの筆者の観察である。今の状況下ではプーチンを罵っても取り立てて不自然ではないように聞こえたかも知れないが、外国の元首の去就に関して別の元首が口を出すことは最大級の儀礼違反、攻撃であり、マクロンはエスカレーションを避けるべきと苦言を呈したし、ブリンケン国務長官は慌てて「ロシア、あるいは他のいかなる国のレジーム変更に言及したものではない」と修正した。

ただ、こうした発言の裏には、上で述べてきたような思いの外に弱いロシアに対する気の緩みがあることは間違いないだろう。アメリカは国際秩序の現状変更を認めないと言いつつ、自らは他国のレジーム変更を誘導して着実に版図を広げてきたと、中露などは常々批判してきたわけであるが、それを認めるような失言をしてしまったのだから国務長官も火消しが大変だ。今回の戦争で、アメリカは同盟国の求心力を高めることができたばかりか、エネルギーなどの資源と兵器の輸出増加で稼げるのだから、圧倒的に棚からぼた餅である。いわば調子に乗りすぎるアメリカ(米国市場含む)に対する逆の警戒心は、政治外交分野のみならず、我々のような市場関係者にとってもいずれ大きなテーマとして迫ってくることになるだろう。