汨羅

2020年4月30日2 分

編集余録

最終更新: 2023年7月18日

今回のウイルス禍では、いろんな人のいろんな発言に、怒ったり、悲しんだりしたが、一番呆気にとられたのは、最初に都市部で緊急事態宣言が出された時の、愛知県知事と京都府知事の対応だった。その頃(そして今も)、愛知県と京都府は比較的感染者の伸びが緩い状態だったので緊急事態宣言の対象から除外され、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に発令されたのである。強制力はないとは言え、緊急事態宣言とは外出自粛要請や休業要請など一定の私権の制約ができる状態を意味している。つまり住民や店舗に無理を強い、売上減や収入減に耐えろと言うことである。私が知事だったら、そんなものはなるべくない状態を少しでも長くしようと考える。除外されたのならむしろ有り難いこと。「県民の皆さんのここまでの努力によって我が県は感染者数が低めで推移しており、緊急事態宣言の対象にならずに済みました。この状態を少しでも維持するために、引き続き不要の外出を控え、手洗いうがいを…店舗の皆さんはお客同士の距離を開けるように店内配置を工夫して、消毒を徹底し…」とアナウンスするだろう。現にアメリカの州知事たちは何とか回避しようとしている(大感染州は別としても)。ところが、日本のこの知事たちの悔しそうな顔と言ったら。自分たちは一人前の大都市と認められなかったとでも言いたげで、その後、愛知県は独自の緊急事態宣言まで発令した。一般には何ら不思議な行動に思えなかったかも知れないが、私は強い違和感を覚えたのだ。自粛中も先月と同じ給与が振り込まれ、いつまでも待っているだけでいいのは公務員や正社員だけだ。この人たちは県民の生活を守る人なのか、それとも明治の県令のような中央派遣の執政なのか。結局、全国に緊急事態宣言が拡大され有耶無耶になったが、その前から感染者数の伸びは逐次減速しており、あそこからの宣言が本当に必要だったのか私は今も疑問に感じている。ともかく4月29日、東京も日本全体も、感染者数のフラット化を達成した。ところがその日の全国知事会では、予定通り連休明けからの宣言の段階的解除に前向きだったのは、報道によると岩手県知事、佐賀県知事、愛媛県知事の三人だけだったと言う。何か普通じゃないのは私の方なのか。